【読書感想文】在るべき「私」を探して(是枝裕和『雲は答えなかった』)
組織と個人の狭間で殺される人格がある。自身の良心や思想とは別に、構造的な力関係のなかで、言葉を飲み込んだり、何かを諦めたという経験は誰しもあるだろう。本書は、旧厚生省の役人・山内豊徳という人物の半生を通じて、個人としての自分の在り方を深く問うてくる。
霞ヶ関の官僚と聞くと、機械的で冷たい印象を持つ。しかし、巨大な制度を所管している組織であったとしても、その中で働いているのはやはり感情を持つ生身の人間である。特に、物語の中で山内は人一倍、心の優しい思いやりのある人物として描かれている。そんな山内は、キャリアを重ねるにつれて、組織の役職として求められる人格と、個人としての人格が切り離し難くなっていく。職責を果たさんとすればするほど、個は埋没し、自分の心を静かに殺していく。組織の論理に従い、ルールに則って、勤めを果たすことができればどれほど楽だっただろう。だがしかし、そこに個人としての「私」は存在しない。そして山内は公と私という自己の抱える存在の矛盾に耐えかね、最終的に自死という形で結論を出す。
【テーマ:自分とは何か】「自分の木」と森を育てること
【テーマ:2021年を迎えて】予定と偶然に生かされて
思うとおりに一年を過ごすことができる人はいるのだろうか。新年に今年の目標ややりたいことを設定する人は多いと思う。私自身も毎年一年の目標を立て、年末にはまあ概ね達成できたかなと満足している。しかし、「思うとおりに過ごすことができた」と思うことはない。改めて考えてみるに、それはやはり人生というものが、「予定したもの」と「予期しないもの(偶然)」の混在によって成り立っているからだというに他ならない。
2020年は多くの人にとって思うとおりにいかないことが多い一年だったと思う。1年前の今頃、新型コロナウイルス感染症が、世界にここまで広く、深く影響を及ぼすことを想像できた者はいない。例えば、私の知り合いで、春に大学を卒業し、新しい会社に就職を予定していた方は、入社後すぐに自宅待機で、夏頃まで一度も会社に出社することは叶わなかったという。新社会人としてのスタートに胸を膨らませていたところ、出鼻を挫かれてしまったことだろう。同じように、仕事や旅行で海外に足を伸ばしたいと思っていた人、晴れ舞台が延期・中止になってしまった人、会いたい人に会えなかった人など、予定していたことができなかった人は多いのではないだろうか。
楽しみにしていた予定がひょんなことでなくなってしまうことは残念なことだ。思うとおりにいかないことを受け止めるには、心のエネルギーを消耗する。できることなら、予定どおり・予期していたとおりに事が進む方がよい。
しかし、二十余年を振り返ってみて、予定したものだけで埋まった一年はない。適度に予期しないものが入り込み、それは出会いや経験となって今の自分を生かしていると思う。あの時、あの場所に足を運ばなかったら経験できなかったことや出会わなかった人がたくさんいる。有り難いことだと思う。いささか前向きすぎる考え方だが、思うとおりにいかなかったことそれ自体を失敗だと捉えないでほしい。
また、「予定したもの」と「予期しないもの(偶然)」はバランスの関係にあると思う。例えば、自分自身でコントロールがつけやすい仕事やスキルアップなどは順当に積み上げやすく、そんなことに懸命に取り組んだ年は、予定と偶然が8:2くらいになるのではないだろうか。逆に、災害や感染症のような、そもそもの前提条件みたいなものを覆してしまう出来事があったとき、バランスは1:9くらいになるだろう。どちらがいいというのではなく、予定と偶然は組み合わさって在る。長い人生を想ったとき、この一年の予定と偶然のバランス、それ自体を味わい楽しむことが大切なのではないかと考える。
他方、「予期しないもの」を予定するということもある。例えば、本屋に何気なく寄って、気になった本を見つけるといった類のものだ。私はこの一年でこの感覚がずいぶん強くなったと感じている。家にいると大抵のことは予定の範囲で済んでしまうことに気がついた。何気ない出会いが減ってしまった。もっと見知らぬ土地を訪ねてみたい。遠縁になってしまっている人と話したい。新しい人や、ものや、場所に出会ってみたい。思い通りにいかない一年を過ごして、今年はどんな一年になるだろうと夢想する。
素敵な一年になるといい。予定と偶然に生かされていることに感謝し、有り難いことを大切にできる一年にしたい。