【テーマ:自分とは何か】「自分の木」と森を育てること

 最近、ある人に「あなたは森のような人」だと言われた。その人は旧くから自分のことをよく理解してくれている友人で、個人で対話の仕事を始めていた。近況報告も兼ねて対話のお願いをした。2時間ほど話した最後の振り返りにその言葉をもらった。
 
 思い返すと、学生の頃から、「木」のモチーフを大切にして生きてきた。社会の中で根をしっかりと張って、様々な知識や経験を水や光のように浴びて、幹を強く・太くしていく。そうして自分という木を育てていきたいと考えていた。また、それは他者に対しても当てはめて考えることができた。背の高い木や低い木、まっすぐ伸びる木や歪んで伸びる木など、それぞれの樹木ごとに個性をもって与えられた環境の中で、その木らしく成長していく。そんな風に人の生き方も実現できればよいと願っていた。
 
 木のイメージはいまだに自分の中にしっかりとある。しかし、そのイメージを掴んでから、早くも7年が経とうとしていた。住む場所も環境も大学生から社会人で大きく変わった。「森のような人」だという言葉をもらったことで、改めて自分について考えるきっかけとなった。
 
 「森」というイメージには、木々たちが育つための土台となる「土壌」と、様々な植物による「多様性」がある。土壌は様々なものを受け入れる器としての役割がある。そして、土壌が豊かでなければ、多様性を育むことはまずできないだろう。そのためには、異質な他者との対話や協働を通じて、自らの中に多様性を包含していくことも大切である。きつい仕事、喜びと哀しみ、様々な出会い、そうした清濁を併せ呑んで、豊かな人生を育んでいきたいと願うことは、則ち、様々なことを受容する土壌を育てることに似ている。私はいま、仕事や人との出会いなどを通じて、そうした多様性を孕む土壌を耕す途上にいるのではないだろうか。
 
 教育というのも木や森を育てることに通ずるものがある。現在、私は行政という立場から、子どもたちの教育を支える仕事に携わっている。それはまさに、子ども一人一人の木が伸び伸びと育っていくための環境整備に他ならないし、様々な特性・背景を抱える子供たちが安心して成長していけるような多様性を包摂する土壌を育んでいきたい。そんな私の理想論を、ゆっくりと聞いてくれたその人は、「森」というイメージで受け止めてくれたのかもしれない。
 
 大江健三郎さんの『「自分の木」の下で』という本がある。その中で幼少期の大江さんはお婆さんから、人にはそれぞれの「自分の木」があり、人の魂は生まれる時にその木の根方(根元)から自分の身体に入り、死ぬ時には魂は再びその木のところに戻ってゆくという話を聞く。大江さんは森に入り、もし大人になった自分に出会えることができたら、「どうして生きてきたのですか?」と質問をしようと思っていたそうだ。
 
 私はこの話を読んだとき、「ああ、おそらく自分も死ぬ時に同じ問いかけを自分にするだろうな」と思った。今際の際に、立派に育った自分の木を見せることで、その質問への回答としたい。そして、その木はただ一本で立っているだけでなく、周りには様々な種類の樹木や小さな芽と共に在りたいと思う。その姿を見た人が「豊かな森」の印象を持ってくれたら、何よりの幸せである。そんな人生のイメージを大切に、これからも「自分の木」をしっかりと育てていきたい。
 

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安曇野の公園で見つけた美しい木の下で。